サスペンスの帝王として絶大な知名度の船越英一郎(ふなこし・えいいちろう)さん。
父は俳優の船越英二(ふなこし・えいじ)、母は長谷川裕見子(はせがわ・ゆみこ)という、芸能一家に生まれています。
経済的には裕福ですが、親に会うのは月に1~2回で、かなり厳しく育てられたんだとか。
今回は、船越英一郎さんの家族(父・母・妹)についてまとめました。
- 船越英一郎の両親は有名俳優!父母の顔画像・出演作は?
- 船越英一郎の父母との家族のエピソードが凄い!
船越英一郎の両親は有名俳優!父母の顔画像・出演作は?
船越英一郎さんのご両親は、父・母ともに有名俳優で妹は旅館の女将でした。
父は俳優・船越英二(1923年~2007年)
父・船越英二(本名:船越榮二郎)さんは、1947年に映画『第二の抱擁』でデビュー。
二枚目俳優として大活躍しました。
活動期間は1947年~2001年(24-78歳)で、
1959年(36歳)に主演を務めた映画『野火』では、
- 第33回キネマ旬報賞・主演男優賞
- 第14回毎日映画コンクール・主演男優賞
など、各映画賞を総なめにしたんだとか!
父・船越英二さんは単なる二枚目ではなく、『演技派イケメン俳優』として大映には欠かせないスターだったそうですよ。
▼その他の主な出演作品はコチラ
映画
- 安宅家の人々(1952年)
- 黒い十人の女(1961年)
- 私は二歳(1962年)
- 白い巨塔(1966年)
- 男はつらいよ、寅次郎相合い傘(1975年)
ドラマ
- 時間ですよ(1970年~1973年)
- 雲のじゅうたん(1976年)
- 熱中時代(1978年~1979年、1980年~1981年)
- 暴れん坊将軍(1988年~1997年)
引用:フリー百科事典『Wikipedia』
学園ドラマ・時代劇・現代劇問わず、息の長い活躍だったそうです!
ちなみに父・英二さんは、2007年3月17日に亡くなられています。(享年84歳)
亡くなる直前まで、船越英一郎さんと元妻・松居一代さんの結婚に猛反対だったといわれていますが、
実は演技だけでなく先を見通す才能もあったのかもしれませんね!
母は女優・長谷川裕見子(1924年~2010年)
母・長谷川裕見子(本名:船越琴子)さんは、1948年に映画『遊侠の群れ』でデビュー。
東映の時代劇映画で活躍しました。
活動期間は主に1948年~1974年(23-49歳)で、艶っぽい演技が話題になっていたんだとか。
出演作品は、
- 水戸黄門(1957年)
- 新選組血風緑 近藤勇(1963年)
などで、12月生まれのスタア(スター)名鑑にも掲載されています。
ちなみに女優引退後は、娘(船越英一郎の妹)とともに神奈川県の湯河原で旅館を経営。
夫・英二さんが亡くなった3年後の2010年に亡くなられています。(享年85歳)
余談ですが、お母さんは船越英一郎さんと松居一代さんの結婚には賛成していたんだとか?!
妹は旅館の女将・平野洋子(1962年~2010年)
妹・平野洋子さんは、芸能界に進んだ船越英一郎さんの代わりに、実家・神奈川県の湯河原温泉『旅荘船越』を受け継ぎました。
1990年(27歳)に女将になると、
『湯河原温泉おかみの会』会長を務めるなど、神奈川県の地域活性化に尽力していたんだとか!
また、小説家としての一面もあり、
第5回湯河原文学賞最優秀賞を受賞!
- 旅館の経営
- 旅館の女将
- 地域活性化の活動
- 小説家
- 講演活動
など、多忙な生活を送っていたそうです。
▼コチラは真正面を向いた平野洋子さんですが、
兄弟というだけあって兄・船越英一郎さんに似てますね!
肌のハリ・つやも良く、とても素敵な方です。
しかし残念ながら、2010年に自ら命を絶ってしまいました。(享年47歳)
うつ病やパニック障害を患っていたといわており、精神的に追い詰められたのかもしれませんね。
船越英一郎の父母との家族のエピソードが凄い!
船越英一郎さんのご両親は、しつけが厳しかったそうです。
デビューに大反対だった父や、母の教えが気になります。
船越英一郎の芸能界デビューに父が大反対?
船越英一郎さんは、芸能界デビューを決めたとき、父・英二さんに大反対されたそうです。
理由は、
(芸能という仕事は)
どこまでいっても人さまから頂くものであり、
能動的に自分から・・・というものではないから
引用:徹子の部屋
つまりいくら自分が頑張っても不安定な世界だから反対していたのではないでしょうか。
特に父・英二さんは、
大正生まれの軍隊上がり
で、すごく厳しかったんだとか!
船越英一郎さんがデビュー当時から夢見た親子共演も、父・英二さんに断られ続け、最期まで叶わなかったんだそうです。
▼コチラは、親子共演を断固として断った父・英二さんの台詞
お前と一緒だと、私は、自分の本来の力が出せない。
お前が気になって・・・
そんな責任を持てない仕事はしたくない!
引用:徹子の部屋
役者魂と、息子を思う気持ちの中に、やはり頑固な一面が見えますね。
▼一見とても優しそうなお父様ですが・・・
ドラマに出てくる父を見て、
と、ギャップを感じていたぐらいですから、かなり複雑な気持ちで育ったのではないでしょうか。
そんな父・英二さんの座右の銘がコチラ
初心忘れず 己を知り 易きを努む
初心を忘れず、いつまでも人の声を聞き、基本(易しいこと)を忘れるな
かなり厳しくて頑固で、幼少期は帰って来るのが憂鬱だったそうですが、
同じ道を歩んできたからこそ、父・英二さんの偉大さに気づいたんだそうです。
船越英一郎が母に教えられたことは?
船越英一郎さんは幼少期『父と母は会社員』だと教えられ、月に1~2回しか会えずに育ったそうです。
▼コチラは、まだ両親が有名俳優と知らなかった頃でしょうか?
また、行儀や礼儀のしつけも厳しく、
小学校で窓ガラスを割ってしまったときも、父・母には話せなかったんだとか?
自力で友達に芸を披露して、10~50円ずつかき集めながら弁償したという噂があり、
気軽に話せる親子関係ではなかったのかもしれません。
しかし、船越英一郎さんが結婚という大きな決断をしたとき、
猛反対だった父親と喧嘩までしてくれた母親。
良き理解者だったという噂通り、
母・長谷川裕見子さんはとても大切な言葉を教えてくれたんだそうです。
▼そのときの画像がコチラ
悪くても感謝
つまり、悪いことにこそ、感謝しなさいという思いが込められていたんだそう。
罵詈雑言を言われても感謝
お財布を落としても感謝
病気やケガをしても感謝
母・裕見子さんの教えは、
船越英一郎さんの人生にとって、とても大切なものなんだそうです。
現在は、ご家族みなさんお亡くなりになられましたが、
ご両親の言葉というのは、いつまでも心の中で生き続けているんですね。
まとめ
今回は、船越英一郎さんの家族(父・母・妹)についてお伝えしました。
- 父・船越英二は俳優で、二枚目演技派
- 母・長谷川裕見子は女優で、時代劇
- 妹・平野洋子は旅館の女将と小説家
ということがわかりましたね。
また、父・英二さんが芸能界入りを大反対した理由や、母・裕見子さんの教えにも(厳しいながらに)温かいものを感じます。
すでに皆様お亡くなりになられていますが、家族の思いを継ぎ、今後も大活躍してほしいです。
最後までお読み頂きありがとうございました。