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山本文緒の再婚夫と別居婚やうつ病からの復活劇まとめ

数々のヒット作を生み出してきた直木賞作家の「山本文緒」さん。

2020年9月発売の最新刊「自転しながら公転する」では、2021年の本屋大賞にノミネートされ、注目が集まりました。

離婚・再婚やうつ病の壮絶体験からの復活劇も印象的でしたね。

この記事では、直木賞作家、山本文緒さんについて

  • 現在の夫との関係や別居婚
  • うつ病克服までの道のり
  • 山本文緒が作家になったきっかけ

についてまとめました!

山本文緒さんは、2021年10月13日に、長野県軽井沢町の自宅でお亡くなりになりました。
享年58歳、死因は膵臓がんだったそうです。
心よりご冥福をお祈りいたします。

最初の夫との結婚と離婚はいつ?どんな人?別れた理由は?

山本文緒

最初の夫との結婚と離婚はいつ?

山本文緒さんの最初の結婚は、

「結婚がコバルトの仕事を始めるのと同時だった」

と語られているので、1987年(25歳時)だと思われます。

その後、

32才で一人暮らしを始めた

と語られていることから、

山本文緒さんの最初の結婚生活は、

25歳(1987年)〜32歳(1994年)までの7年間

だったことになります。(情報元:インタビュー記事)

最初の結婚がどんなものだったかは、著書「そして私は一人になった」で書かれています。

↓ ↓ ↓

 

最初の夫との離婚理由は?

山本文緒さんの最初のご主人とについて、

本「そして私は一人になった」には、

離婚して、一人で好きな物を食べられる幸せをかみしめてる

様子も描かれています。

山本文緒さんはもともと、

誰かとずっといっしょにいることにストレスを感じる

性格のようで、そのあたりも原因だったのかもしれませんね。

一人暮らしの荒れた日々からうつ病に?

離婚して一人暮らしにもどった山本さんですが、自由気ままに幸せだったかというと、そうでもないようです。

この時期は暴飲暴食や昼夜逆転で、荒れた生活を送っていました。

作家活動での過大なストレスで自分を追いつめていたようですね。

手術もしています。

この時期(1997年頃)から心療内科に通うようなったそうです。
(情報元:インタビュー記事

「うつ病」の確定診断がおりる3年も前から、心療内科で投薬をうけていたのですね。

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山本文緒のうつ病が壮絶!再婚した夫が「王子さま」みたいに介抱してくれ?

王子様

39歳で現在の夫・浩二さん(王子さま)と結婚

そんな生活の中、

山本さんは、2001年(39歳)に現在のご主人の浩二さんと再婚されています。

仕事で知り合い、出会から9カ月で結婚されたそうです。

ご主人のことを「王子(おうじ)」と呼ぶほど優しい旦那様のようですね。

夫(王子)とは結婚当初から「別居婚」だったようで、

理由は

  • お互いに家があったから
  • 二人で住むには狭いため

大人の再婚という余裕を感じるエピソードですね。

山本さんの性格からして、ある程度の距離感があるほうが居心地がよかったのかもしれません。

2001年(39歳)直木賞受賞

山本さんは、再婚とほぼ同時期の2001年(39歳時)に、直木賞を受賞しています。
(受賞作「プラナリア」)

 

一回目の結婚のときは作家デビューと結婚が重なり、二回目の結婚では直木賞が重なっていますね。

重大なイベントが重なる不思議な運命なのでしょうか?

2003年(40歳時) うつ病発症

うつ病

直木賞受賞でさらなるストレスがかかったのか、

1年後の2003年(40歳時)には重度の「うつ病」を発症。

もともと不眠などで心療内科で投薬をうけていた症状が悪化したのでしょうね。

このとき夫の浩二さんが献身的にサポートしてくれたとのことで、山本さんはのちに

「夫がいたから早く治った」

と語られています。

浩二さんが山本さんの髪の毛を洗ってくれたそうですよ。

「そういえば、夫に髪を洗ってもらったのが、とても嬉しかったですね。自分で洗いたいんですけど、洗えないんですよ。」
引用:https://kokoro.mhlw.go.jp/column/intv009/

浩二さんの人柄や夫婦関係がわかるこんなエピソードも!

ある日、夫に、「私、もう小説は書かないかも」と言ったら、「いいよ」って、普通にフラットな感じで言ってくれたんですね。それはすごく嬉しかったです。病気が治るようにがんばろうと思いました。
(中略)
その時に私も、「具合が悪いなら会社辞めてもいいよ」と夫に言えるよう、仕事をしたいと思いました。
引用:https://kokoro.mhlw.go.jp/column/intv009/

とはいえ、

うつ病が重症な時期には、夫の支えだけでは難しかったようで、横浜の実家に戻って療養生活をされていました。

このときは、お父様とお母様が看病してくれてみたいですね。

お母様はこちら。 85歳だそうです!

▼双子といわれるくらい似てる?

 

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元気になった今では、お母様とふたりで旅行を楽しんだりしていたようです。

2007年、うつ病克服して作家復帰!

山本文緒さんは、約6年の闘病の末にうつ病を克服、エッセイ『再婚生活』で作家活動に復帰されました。

その後は、長野県の軽井沢に移住して自然のなかでゆったりと執筆活動をされれていました。

▼軽井沢の自宅の窓辺

 

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山本文緒は夫と別居婚!? 現在は軽井沢に移住でゆったり生活!

山本さんのインスタには、素敵な窓辺に飾られたお花やスイーツが投稿されていて、ゆったりした時間を楽しまれているようでした。

お元気な頃のインスタには、浩二さんは登場せず、時々は横浜の実家に帰省していた様子なので、「別居婚」スタイルをうまく取り入れて緩やかに暮らしていたのかもしれません。

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山本文緒の経歴プロフィール、年齢・本名・作家になったきっかけは?

プロフィール

山本文緒さんは、横浜生まれの現在61歳です。

・ペンネーム:山本文緒(やまもとふみお)
・本名:大村暁美/おおむらあけみ
・生年月日:1962年11月13日
・年齢:61歳
・出身地:神奈川県横浜市
・血液型:AB型
・高校:神奈川県立清水ヶ丘高校(現在の横浜清陵高校)
・大学:神奈川大学
・身長:150センチくらい
・体重:不明
・職業:小説家
・家族構成:夫(大村浩二)

本名は非公開ですが、「大胡暁美/おおごあけみ」さんではないかという情報もありました。(ソース不明)

再婚して「大村暁美」さんになったようですね。

神奈川大学時代は「落語研究会」に所属していたそうです。
言葉を扱う上手さやユーモアセンスはここで磨かれたのかもしれませんね。

山本文緒さんは、大学を卒業後から25歳まで、一般企業のOLさんをしています。
証券系の財団法人で定時で帰れる楽な仕事だったとか。

毎日の満員電車が苦痛だったそうです。

1987年(25歳)でOLから作家へ転身!きっかけは?

山本文緒さんが作家になったきっかけは「コバルト・ノベル大賞」の佳作入賞でした。

応募したきっかけは、

通勤の満員電車が嫌で、会社の近くに引っ越すための資金稼ぎのつもり

だったようです。

OL時代のお給料は月給12万円ほどだったようで、副業としての作家に目をつけたそうです。

はぴ
はぴ
懸賞金が目当てだったのね♪

山本さんは、1987年に「コバルト・ノベル大賞佳作」をみごと受賞!
(受賞作は『プレミアム・プールの日々』)

これを機に、OLをあっさり辞めて、作家に転身しています。

はぴ
はぴ
思い切りもいいです!

ちなみに、コバルトノベル(少女小説)を選んだのは「これなら自分にも書けそう!」と思ったからだそうです。

作家になってからは、なにかとご苦労もあったようですが、次々にヒット作を生み出しているのをみると、物書きとしての才能に恵まれていたのでしょう。

ペンネームの由来は、

「山本」は友人の名前からつけ、「文緒」という部分は、槇村さとるさんの短編まんがの主人公からつけたそうですよ。
(情報元:http://www001.upp.so-net.ne.jp/fumio/09_waseda_1.html)

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まとめ

今回は、直木賞作家の山本文緒さんの経歴プロフィールについてお伝えしました。

・離婚再婚
・直木賞受賞
・うつ病克服
・王子のような夫(旦那)
・別居婚

小説のような人生ですね!

約6年もの長い「うつ病」闘病をのりこえた復帰作でいきなり「本屋大賞」ノミネートとは、山本文緒さんの才能の凄さを感じずにはいられません。

心よりご冥福をお祈りいたします。

自転しながら公転する / 山本文緒 著

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