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福原愛の父は家族と絶縁で他界!?借金・自己破産の真相は?

福原愛さんの父・福原武彦さんは、2013年10月に享年71才で他界されています。

愛ちゃんとは、亡くなる5年前(2008年頃)を最後に音信不通の絶縁状態だったようで、父娘の対面はないままのお別れだったようです。

この記事では、福原愛さんの父・武彦さんについてまとめました。

福原愛さんは、父・武彦さんが46才の時の娘

福原愛の父と母

福原愛さんのお父さんは、2013年10月に肝臓癌で他界されています。(享年71才)

享年から逆算すると、愛ちゃんは父・武彦さんが46才の時に生まれた子供ということになります。

「泣き虫愛ちゃん」としてテレビで引っ張りだこだった時はすでに「父・50才」だったわけです。

どうりで、年配のお父さんの印象でしたね。

福原愛 父父50才/愛ちゃん4歳 引用:YouTubeより

 

動画では、「記者会見ってなに?」と聞く愛ちゃんにたいして、「いいから!」と頭を叩いていますね。

こうして画像をみても愛ちゃんは「年を取ってから生まれた子」なんだなぁという印象ですね。

余談ですが、動画で愛ちゃんと母・千代さんの隣に映っている方が、愛ちゃんの兄・秀行さん(愛ちゃんよりも10才上)なのでしょうか?

引用:YouTubeより
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愛ちゃんが稼いで父の借金を返していたのは本当?

福原愛の父

福原愛さんの父・武彦さんは、1990年(愛ちゃん2歳)頃から建設業を営んでいたそうです。

会社経営の一方で、お金を子供の卓球に注ぎこみ、専用卓球場も所有したり、中国からコーチも招いていました。

ところが、会社は3億5000万円もの借金をかかえて、2004年に倒産してしまいます。
(情報元:https://www.news-postseven.com/archives/20131025_223794.html?DETAIL

父・武彦さんの事業の借金の裏で、

愛ちゃんは、

  • 若干10才(小学4年生)でミキハウスと専属契約を結び
  • プロ宣言
  • テレビ/バラエティ出演
  • 1本3,000万円とも言われるCM出演

など家族の生活を支える収入源として稼いでいました。

子供ながらにすごいですよね。

それでも、借金はふくらむ一方。

愛ちゃんが15歳でアテネ五輪に出場したころは、福原家は多額の借金で火の車だったということですね(愛ちゃん15歳、武彦さん61歳)

オリンピックという華やかな活躍の陰で、こんな深刻な家族の危機にみまわれていたなんて驚きです。

そのため、福原愛さんは、子供時代についてこのように振り返っています。

放課後に遊んだことが一度もなくて、修学旅行にも行けなかった」と言うほどハードな子ども時代を送ってきた。

引用:モデルプレス

放課後に一度も遊んだことがないというのは、スポーツという名の労働みたいですね。

最終的に、福原家の借金問題は、2004年に両親が離婚の上、父・武彦さんが自己破産すことで終止符をうっています(愛ちゃん16歳)

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福原愛が父と絶縁状態になった理由は借金と父娘の確執だった!?

自己破産/離婚で、愛ちゃんと離れ離れになった父・武彦さんですが、卓球のマネジメントは続いていました。

ところが、2008年になると父娘は「メールも電話での交流もない」絶縁状態になってしまいます。

理由は、卓球に口出しする父・武彦さんとの確執だといわれています。

父・武彦さんは卓球経験がないにもかかわらず、コーチや練習方法まで勝手に変えてしまうことがあり、愛ちゃんとの間に溝が深まったのだとか。

父との関係がよほどストレスだったのか、愛ちゃんが泣き出すことも。

↓ ↓ ↓

『家族全員の稼ぎを担っているそうですが、大変ですか』

という質問を受けて泣きだしてしまったこともありました。

そこで家族が案じて、以降は長男の秀行氏がマネジメントを担当するようになった」

引用:https://www.asagei.com/excerpt/16683

これ以降、父・武彦さんは完全に絶縁状態になりました。

兄の秀行さんから「もう愛にはかかわらないでほしい」と父に告げ、

その後の愛ちゃんのマネジメントは、母・千代さんと兄・秀行さんの個人事務所『千秀企画』が仕切るようになったそうです。

2008年の絶縁以降、最期まで父と娘が対面することはありませんでした。

2018年10月、福原愛さんは現役引退を表明。

現在のマネジメント会社は「電通スポーツパートナーズ」がマネジメント」

2021年2月10日には、会社「omusubi」を設立しています。

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福原愛と父、ふたりは絶縁状態のまま他界

福原愛の父・武彦さんは、亡くなる前は、秋田県湯沢市の秋ノ宮温泉郷で住み込みで働いていたという情報がありました。

路線バスもコンビニもない山奥。

何メートルも雪が積もる山奥で、慣れない旅館業で働いていたとは驚きですね。

2013年10月に父の武彦さんは、秋田県の病院で肝臓ガンでなくなりました。

享年71歳でした。

武彦さんが亡くなったとき、愛ちゃんは卓球の東アジア競技会出場(中国/天津)中でした。

武彦さんは、娘と顔を合わせることなく世を去ったわけです。

その時の愛ちゃんのコメントが、

2008年の終わり頃を最後に一度も会っていない状態にありました。

以後は電話やメールでのやりとりも、一度もない関係となりました。

父がいなければ私は生まれてくることもなかったですし、今の成長した私があるのも、多くの方が応援してくださる環境があることも、父の影響によるものが少なくありません。

そういったことについては、父に感謝しております。

情報元:東スポ

というものでした。

実際に、父・武彦さんは独自のやり方で愛ちゃんの卓球の才能を伸ばしてきました。

エピソード

小学低学年のうちから移動中の高速道路の車内で“特訓”。すべての対向車のナンバーと地名を読ませ、動体視力と記憶力を養わせるなど、生活のすべてを卓球につなげた。

情報元:東スポ

父として全力でサポートしていたのでしょうね。

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まとめ

今回は、福原愛さんの父・武彦さん(享年71歳)について調べてみました。

愛ちゃんの笑顔の裏に、こんな壮絶な家族物語があったなんて驚きですね。

卓球で、多くの人を勇気づけ笑顔にしてきた福原愛さん。

これからの幸せを願っています!

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